亡父の「73回忌」


昭和19年7月18日 久保徳治 34歳サイパン島で戦死、遺骨不明 今日は73回目の命日。

写真はサイパン島バンザイクリフ」に建つ慰霊碑、敗戦濃ゆいこの島で米軍上陸を前に多くの邦人女性達がこの崖より「バンザイ、バンザイ」を連呼し身を投じたという、後に「バンザイクリフ」と呼称。
私も50歳の時、社の20周年行事に墓参を兼ねて訪島、近くに日本軍の司令部洞窟、戦車の残骸が有り訪れる人に戦争の悲惨さを誘う、当時私は3歳で親父の記憶は皆無だが戦争未亡人となった母の苦労を見て育った訳で戦死の報を受けた当時の母の悲しみは幾何かと胸が詰まる、戦後の焼け跡の中で臥薪嘗胆、艱難辛苦を乗り越えて私達を立派に育てて呉れた亡母に無限の感謝をしたい
あれから73年の月日が流れ親父の2倍以上生きてしまった、元気な内に再度サイパンを訪ねたい。
25年前の群青の海は今日も鎮魂の波を岩間に打ち寄せているだろうか・・・。

今年も庭から空蝉が続々と這い上がってきた、何処までが空蝉の一生か分からないけど自然界のサイクルからすれば「空蝉も人間も木の葉蝶の一生」も大して「カワラン」ように思える。