彼岸花が咲いていた。

 諫早市有喜町、整骨院の帰り道、田舎の畦に彼岸花が咲いていた、日常的には彼岸を忘れがちであるが彼岸花が彼岸を教えてくれる、母が逝き、兄が逝き、弟が逝き、次は誰が逝くのか考えさせられる季節である。
議会は委員会の決算審査を終わりあと二日で閉会である、四年間のブランクが今議会で解消できた気がする。
今議会を通して気付いた事は「議員の勉強不足」、町長部局と「丁々発止、直談判」やれる折角の機会を色あせた質問と枝葉末節な事柄に終始し、根っこの部分が欠落しているようだ。
議員報告会や、投票率が低調なのも全て議会側にも責任の一端はある、かって元首町が議会はレベルが低いと周辺にノタマワレタが更に低下したのではなかろうか、危惧される事である。
来週からは可也な予定が山積している、10月4日の町民体育祭が終わるまで息を抜けない、最大の楽しみは10月末の「上海・蘇州行」蘇州運河の石橋を見てみたい、私が部屋に飾っている満州時代(大正?)の水彩画、そこに描かれた石橋の場所に行くのが目的である。

彼岸花を見るたびに思い出すのは五島のあぜ道や水路の脇に一面に咲いていた風景、葉のない花だけの花を不思議な思いで摘んだ記憶が有る、あの頃は皆んな貧しかったけど苦しかった分だけ希望を持って生きていた、考えて見れば日本が焼け跡から這い上りつつあった時期であろう。