「長崎市銭座町○○番地○○アパート」原点を訪ねる。


写真は銭座町高台から長崎市街、遥かに稲佐山を望む。
銭座町は長崎に来て1年目、23歳で新婚所帯を持った想い出の場所、近所同士であったと言う旧知の友人と現地を訪ね昔日の検証、稲佐山の正面に位置しロケーションだけは
一等の1LDK、風呂も無い安アパートであったが当時は普通レベルで苦にならなかった。
夢と希望を胸に細く急な階段を一気に100段位駆け登った青年時代、ここが長崎における私の原点。
途上国の住宅街を思わせるスチール製のペラペラ外壁、住宅は超過密、構造面積も建築基準法の適用外時代の建築で火事でもあれば消防車も入れず地域一帯の全焼は免れない。
所々には空き地が目立ち新築住宅を建てる余地も地形でもなく、私が住んだ場所も建屋は無く空き地と化していたが周辺には昭和の30年代が現存していた。
長崎を転々とし45年の歳月の中で時津に会社と住居を構えるまで6軒位、大体2年刻みに移転していた、多分、子供の数にあわせた事かと思う。
45年の歳月を経て「長崎から時津へ」たった15km程しか移動していないけど道程は地球を2,3回,月まで5,6回往復してきた位の旅路、あの頃から考えれば遥か遠い、異次元の世界に来てしまった感がする。
ご近所であったご婦人と昔話をした、私の記憶の中には有ったが相手側の記憶の中に私達は存在しなかった・・・・半世紀に近いビジターとして浦島太郎の気分で帰路につく。

今日から2013年の始まり、私の置かれた状況は必ずしも「ヨロシク」ないが原点からすれば難易度は低く「人は希望と共に若く絶望と共に老いる」を胸に一日一日を一生懸命努力・努力・ヒタスラに努力を肝に銘じる事にしよう。