30年前「7月23日」の夜。


長崎大水害により中島川上流、新大工町岐路に位置する外観秀麗な石橋、桃渓橋を初め、中島川石橋群12,3橋が流失破壊された、写真は往時の歴史的石橋、現在は復元された。
1982年7月23日、24日にかけ長崎地方は時間100ミリを越す未曾有の豪雨が3時間以上続く、長与町役場の計測では時間/187mmを記録、我国観測史上最大値を示した。
明日は水害30周年、過去を振り返れば夢に等しくアラユル場面が走馬灯のように蘇える。
当時41歳、仕事も私生活も活力に溢れ考えれば一番気合が入っていた時期、子供達5人は上から下まで高校、小学生で有ったからこの夜の非常事態を多分今でも記憶しているだろう。
今は亡き友人達も皆、男盛りで夜遊びを競い合っているような時代で有った。当夜は私も仕事柄みの関係者と銅座でノミニケーションの最中に豪雨に見舞われ帰るに帰れなくなった事を昨日の事の様に記憶している、電話回線不通、電気は中断停電、1階スナックの客はカウンターの上で立ち往生、我々は2階に移動して事なきを得たが帰宅できたのは翌朝、家内からは行方不明の届けが出されていた。
又、友人の妹さんが経営する店も冠水で崩壊、ママは水害の犠牲になり帰らぬ人に。
長崎にとって7月23日は8月9日の次に「忘れられない日」になった。

今回の東日本大震災、復旧費用総額は官民併せて19兆円位らしい、復旧特需で建設関連が息を吹き返し景気の誘導役をしてくれれば良いのだが、株式には何日まで待っても反映されない、このまま行けばリーマンショックより大きな津波が経済界を襲撃するかもしれない。
参議院特別委員会で「税と社会保障関連法案」が審議されているが増税部分の使途見解で自民と民主に違いが有る、自民は自民、民主は民主、合意はしたが解釈の違いは大きい、不明瞭な事が多すぎる永田町民主村、野田政権も実質的には死に体、目先の利く官僚に足元見られて誘導されているのが見て取れる。
野田総理は一人強がっているが総理の影響力は消滅し誰も期待はしていない、世論は政界再編、政権交代を切望しているように見える。