栴檀は双葉より芳し・・・


県庁の帰りに諏訪ノ森、県立図書館前を久し振りに通ったら、千年にも成ろうかと思える栴檀の大樹が道を塞ぐような形で彼方此方に林立、24,5歳の時、西山に住んでいた時から馴染みの古木であるが途中から折れて中が空洞化、痛ましいが周辺から新しい枝葉が張り出し微かに芳しい香りを漂わせている、改めて樹木の生命力の強さに感服、それに比べて人間の生命は葦に等しく短く儚い。
生きていれば97歳の母から幼少期に「諺」を通して生活教育を受け、「ひとの道=生き方」を諭されてきた記憶が折々に思い出され「昔の母親の偉大さ」に敬服する、神戸の女史師範学校を出た母は当時の教育レベルではハイクラス、ハイカラ組で有ったのだろう、栴檀の樹を見る度に思い出すのは「表題」の諺である。
子供達に期待をかけて「栴檀の諺」を語ったのであろう、と思えば期待に沿えず詫びねば為らぬ我が身である、不幸中の幸い乍、先般の巡礼でご先祖や亡き恩人達に感謝と謝罪を併せて合掌して来たから気安めには成っている。
某寺では「世の為に自分を大きく生かしたい」とお願いして下さい・・・と教えられた、キリスト教の立場でも仏教の教理を理解する事は出来る、真理は宗旨を超えて説得力のある。
3月通常県議会は某県議の発言が懲罰動議に掛かりも半世紀振りに9日間の出席停止になった、遺恨を残す処置で今後も揉める火種になる、議員団は視察研修で遍路、寺詣りをし般若心経を会得すれば全て円満に解消する。
幼少の頃に芳香を発する事は出来なかったが、齢70才、明日からでも一味違う芳香を感じて貰える様なシニアに為らねばと述懐する。