朝には紅顔ありて・・・


某寺の五百羅漢像の先頭に美顔で可愛らしい観音菩薩像が鎮座していた。木彫りで4、5百年物、彫師の心情が察せられる菩薩像、拝観者を癒してくれる、因みに観音様の性別は男女どちらでもなく、どちらでもある神秘的な存在らしい。

朝刊を読んでいたら知人の訃報が載っていた、知事選挙でお世話になった関係の方なので葬儀に参列、ご冥福の線香を上げた
身近な知人達が他界し、読経を聞きながら暫しこの世とあの世に想いを馳せる。
荘周流で観想すれば「あの世がこの世でこの世があの世」かも知れず、思い悩む事はないと言う事になるが、目的を持って生きている以上、それを果たす迄は生きていたいと思うのは当然の理であり、道半ばの私はもう少し生きて行きたいなぁと思う

浄土真宗、住職のお経に耳を傾けていたら「朝には紅顔ありて世路に誇れども夕べには白骨となって郊原に朽ちぬ」クダリが出てきた、この世は無常で人間の生死は予測できないと云う意味である、だからこそ「生きてる内に生きている者同士、命を大切にして一生懸命生き抜けろょ・・・」になる。
「死者は語らず」というが私には毎度の事ながら棺の中からはっきりとメッセージが聞こえてくる。
・・・享年85歳、年齢的には大往生である。