孔子「70従心」を自問する。


蘇州の運河(川)橋、水彩画と橋の形式が酷似している。
最近は永田町、国内記事も慢性化、政局を見据えた政争も団子レースで気魄、刺激も感じる事が出来ない、パフォーマンスを観賞させられているようで面白くも無い。
時津町の出来事に関しても役務を罷免させられた関係からか少々関心が薄くなって来た、元来、全国的にも中小自治体で出来る事はタカが知れており、まして執行機関でない議会は面白いはずが無い、私の場合、議会が執行者の追認機関化していた12年前、男気を出して挙手、議員バッジを頂戴したが考えて見れば町民に対する熱い思いは自分の独りよがりであった。
在任期間中は、時津を良くしようと思えば長崎県に活力を、長崎県を良くしようと思えば日本国の再建しかなく、住民的想いで町村合併、議会行政のレベルアップ、財政基盤の確立を視野に稚拙な議論に対峙、社会正義と分別で推し進めればするほど孤立をする場面が行く度もあった。
時津が時津だけで、所謂、自力で不交付団体には成り得る事は無く、先見性と勇気を持った議会人を選出しないと井の中の蛙は自滅する。
1932年満州国建国時に「君も行くなら俺も行く」の風潮で渡海、雪崩を打って海外に雄飛して80年、今日経済大国日本はGDP世界第2位の中国に活路を求めて企業家、野心的な人々がベンチャー精神で飛翔期待できる余地がある。
2500年前
儒家孔子は「40不惑」「50知命」「60耳順」「70従心」と説いた、70歳の私は「心の欲する所に従いて則を越えず」の心境を一片でも持ちえているであろうか、と問うてみた。