目的と手段の混同。

今日、4月1日・昨日が3月31日であったから当然の事である、然し、昨日の続きで有りながら決してそうではなく、全く新しい一日の始まりなのだ。
そんな訳で私の信条は「本日、只今誕生」と毎日を「マッサラな気分」で迎え「百年無人生」悔い無き一日一生を送る事にある。
先日、とある人から議会人としてコレから「何を目指すのか」と問いかけられた場面がある・・・特別、野心も邪心も無く「無欲無心」の境地。
ただヒタスラ議員としての使命と責務を果す為、議員活動をしている丈の事で返答に窮したが、それ丈には見えないのだろう、改めて考えさせられた。
卑しくも人に上に立つ者、或は行政に携わる者は「私」から離脱し「公」に立脚した「公僕精神」で為すべき事為さねばなら事を成さねばならない使命と責任がある、或る人が「頂点」を目指すなら「何を持って頂点を目指す」のか、自分が頂点に立ち理想の地域社会を作ってやる気概が果たして持ち得るのか、問われるのはこの点であろう。
手段と目的のハキチガエニ惑わされてはいけないのだ、金子知事も4選を目指して動き出しているがイマイチ「見えてこない」伝わってくるものが無い、これから何をしようとしているのか不明である、風評に寄れば諫早出身で東欧の某大使が民社党推薦で出馬模様である、コチラも対立軸だけで勝負しようとしてるのか見えない、分り易い政見と政策で戦って欲しいものだ、選択肢が生じる事は選挙民にとって有益な事であるから。
本夕・少々、疲労感あり、明日からの宇久島行きを一週間延期する。