多久聖廟

長崎は先日から冬の風物詩「ランタンフェスタブル」で少し活気あり、期間中相当な観光客で賑わいを見せる、新地中華街の人達が手作りで始めたのが出発点、今は「夏の精霊流し」と並ぶビッグイベントに発展し長崎市の観光行事となった、処が聴く所によれば本場中国では旧正月と言えども「灯篭飾り」を今日的にはしないらしい昔のシキタリだったようだ。
昨日は30年来の友人と痛飲した、仕事を通して知己を得た数少ない友人の一人・・・
お互いに多忙な身なので年に1・2度逢うか逢わないかの関係ながら逢えば昔の気分でツイ深酒に陥ってしまう
驚いた事に私のプログを時々読んでいるらしく辛口の漢の癖に昨夜だけは饒舌になり不肖、私の議員活動を評価してくれた。
コチラが知らないだけで結構、訪問して呉れてるんだな〜と感慨を持って礼を述べる・・・謝 謝。
向後のことを考えれば幾ら頑張っても男同士の付き合いはアト10年前後、これから先のほうが遥かに短く、世の中 何でも金で買える時代になったが金で買えない貴重品?の1つが友情、これは人生の財産である。
日中「佐賀県小城市」の業者打ち合わせを終え、帰路「多久聖廟」「多久郷土館」を訪ねる・・・
孔子を祀る聖廟が何故、多久市に存在するのか、予てよりの疑問、私なりの推量は持っていたので確かめたい気持もあり視察したら推量はかなりな部分で的中していた、佐賀藩明治維新に貢献「薩長土肥」と言われるまでに傑物を輩出した、多久の殿様は儒教を「藩校の礎」とし「東学精舎(教室)」を同時開設し藩内に人材を養成した・・・因みに多久氏は鍋島藩主の三男が養子で家督を継いだらしくナカナカの名君であった、「文武両道」彼の狙いは見事に結実し維新開花の底力になる。
まち中は鹿児島の加世田市・知覧市、岡山の津和野、山口の萩を髣髴させる城下町共通の景観と雰囲気が残っていた。
今回は小雨の中、短時間・・・今度ユックリ探索したいと思いながら後にする。