昭和16年6月1日の記事。

先日、博多出張の折、過去新聞の自販機が有り面白半分で私の生まれた日に発行された朝日新聞を注文した、3分ほどの時間を要したが驚く無かれ一面だけであるが新聞コピー(A4サイズ)が出てきた。
太平洋戦争の序幕を匂わせるキナ臭い記事が一面全体に溢れ、日本軍の中国(支那)戦線の戦果が猛々しく報道されている・・・
「海軍部隊、またまたの戦果・・・全支の海上封鎖完璧」「121機、撃破、残存敵空軍を壊滅」
中東では・・「イラク、遂に英に屈す・・・英休戦申入れを受諾」「イラク首相らイランへ逃亡」
欧州では「獨機、猛爆を続行・・・クレータ島の英軍必死の脱走」「獨機、英本土を猛爆」
米国においては「太平洋艦隊の大西洋配置転換、中国を視野にいれた南支那海進攻論」が議会で議論され戦備の進行が覗える・・・
新聞は来るべき世界戦争を十分に予見させる内容でイメージの世界では当時を想像できたが新聞記事はリアルである・・・
後年、昭和19年7月18日、若干34歳で戦死した父は新聞記事の通り当時(昭和16年)陸軍歩兵部隊で支那に進駐していた筈である・・
「妻よ子よ、俺の手柄はニュースでお聞き、明日の戦(いくさ)が勝負どこ」この頃、届いた戦地よりの父の葉書に書かれた一句、青年の域。
こん日、戦死した親父の倍近く長生きしている自分、若くして逝った父の遺児を、戦没者に対する使命として立派に育てた軍国の母は尊敬に値する。
新聞記事を読み乍、改めて母の偉大さ、あり難さを痛感した・・・・