平戸経由・生月へ。

平戸市に打ち合わせに行く、聞けば現場は宮之浦・早福港 平戸市役所より更に片道40分の距離で島の最先端、東西南北が不明であるので何とも言えないが、千里が浜経由・紐差を過ぎ山道・峠を越えて辿り着いた。
宮之浦は釣り場の名所で地名だけは承知していたが現場に行くと流石に釣り場としての景観が整っていた、ココで仕事が出来るとは予想外の事であり、今から愉しみである、土地の漁師に海象状況等を聞き調査したが親切で礼儀正しい、へき地特有の人情味が感じられ「よい仕事」をしてやろうと意気を感じる。
コレが決定すればトライアル支援事業以外の初仕事でこの仕事の持つ意義は大きい、海上デッキ・サイズは3m*20m=60?標準的・難易度は佐世保より楽天である、近辺の港湾を調査するも潜在的ニーズは数知れずあり。
折角の機会と生月島まで足を伸ばす、10数年ぶりである、当時は大橋の工事中で渡海船で渡った記憶がある生月島は五島と酷似した部分が多くナントナク郷愁を感じる
この島の港湾は県下随一に整備され係船状況も規則正しい、現知事金子原二郎の実父金子岩三氏の功績であろう、「オラショ」の島としても名高く耳を澄ませば波間に祈りの声が聞こえてくる・・・・
日本は海国で長崎は全国一の海洋県・水産県・・・開発商品の市場性は超有望。