歴史を考察する。

時津町史談会の歴史散歩で時津街道〜浦上街道の史跡勉強会、主として葉山・滑石・長与高田を歩く。
時津街道も部分的に郷土史家・教育委員会・史談会の三説がありどの道筋が本来の街道だったのか確定されていないらしい・・・本来ならその辺の調査をするのが史談会の仕事かな、と思うのだが今の史談会にはそこまでのバイタリティは無い。
道路は古今東西を問わず目指す地点に向い・・平坦・最短距離、且つ民家や河川に沿って出来る・此れがホントの道理である、私なりにソンナ観点から諸説のある時津街道のルートを想定し同行会員に見解を求めてみたら賛同してくれた。水道のない時代、河川は生活の絶対条件、河川に沿って村落は誕生した、街道も河川との関係抜きには成立しない・・・
往時を偲ばせる道標が街道の要所、要所にめり込むようにひっそりと建っている・・
時津の初代村長は高谷氏・菊池家とも同族であるとか、昔は時津も滑石も同じで縄張りなど無くバリアフリーの世界、政治秩序を確立する為、境界が出来た為、返って住み難くなったのではないか?
私は個々の家系など関心はないのだが他の人達はそうでも無いらしく、関心事の個人差が存在する事を再認識する、私的にはHIGHな仕事をしないと面白くない。
家に帰りネットで伊能忠敬が測量したであろう時津街道・測量日記を検索したら
案の定、街道は川沿いである、異論の余地は無い。
考えれば物事には必然性・妥当性・正当性が必ず求められている。