「モモ」が持たらしたモノ。

五月の連休も今日が最後の日曜日、隣のワン公「モモ」が入院先の動物病院から退院した。
見舞いに行った経過もあるし、我が家の「カンタロー」より私に懐いていたので隣家に面会に行く、元気になり尻尾を振って大歓迎してくれたが包帯だらけの姿は痛々しく憐れである。
世事では「親が子を殺し、子が又親を殺める」痛ましい事件が多発しているが「モモの交通事故」では美談がある「モモ」が事故に合い轢逃げされて瀕死の重症で道路中央でノタウチ廻っている時、通り掛った「女性」が見殺しには出来ず動物病院に連れて行こうとしたら別の通行車の人がこの布に包んでと自社のシートの提供してくれたらしい、病院では医者が直ぐ応急処置をしたがカナリな重傷で費用も多大になる事から飼い主でもない持ち込んだ「女性」に治療に入って宜しいか確認したら「自分が支払う」と申し出たとの事。
此れには医者も感動して「自分も半分持たせて貰う」と云う事なり目出度く「モモ」は助かるのである。
そしてその日の内に飼い主の「お隣さん」と連絡が取れ「女性」も費用負担を免れ、万歳であった、然しながらこんな美談があるだろうか、偶然ではあるが「女性」は私の後援会会長の会社に勤務されていた「パート」さん、隣宅の事とは言え報告方々、彼女と面談をする、聞けば費用に関しては不安も有ったが「見てみぬ振り」は出来なかった、との事で彼女の気立ての良さに改めて感服する。
「人格は職業や地位」に非ず、損得抜きに優しい、此れは「最高の品格」である。
善意が善意を呼び善意のリレーで「モモ」は助かった、昨今の痛ましい事件と対比した時、天地の開きである、お隣さんからは私にも「モモ」の名前でビールが届けられた、特別何をした訳ではないが受け取った方がお隣さんも喜ぶかな、と思い頂戴した。
一匹の犬の交通事故がモタラシタ「善意の交叉」、犬にとっては事故そのものは不幸な出来事であるが、温かい人の「善意と愛情」を垣間見せられた事件であり満更でもないな、とホクソエム私である。