喜寿を迎えて。


2018年6月1日 私の誕生日、77歳になり喜寿で晩年の大きな節目か。
子供達がいろいろ祝事を考えて呉れているようだが私的にはよく活き残った感はするが老化は否めずブルー(蒼)、友人達が早逝し取り残された者の侘びしさを味わい嘆く日々もある。
本日只今誕生」をモットーにして謙虚に真摯に努力研鑽を重ねてきたが振り返ってみれば足跡を確認する事が出来ない、砂浜をひた走って来たのか寄せる波に打ち消されて足跡は無い。
自分自身は結構、波乱万丈 修羅場を乗り越え潜って来た気がするがこれも形の無い体験。
世の中には天下国家を語る大尽から大企業の億万長者まで名だたる偉いさんが同じ時代を共有し同じ空気を吸って生きている、総理大臣安倍晋三、副総理 麻生太郎 国会ではボコボコに叩かれて青息吐息、立場は偉いだろうが果たして幸福度はどうであろうか。
人間の幸福度とは何だろう、人生の意義は何だろう、俺は何をしにこの家系に生まれて来たのか。
今頃になって考え、よしんば答えが出て来ても何がどうなる訳では無い、大臣も乞食も物理的な違いの渦の中で生きているが、持ってる時間は同じ、吸う空気の量も同じ、幸福度を計測するはかりがあれば第一条件は自由度だろう、自由度からすればおこもさんの方が大尽、大臣より恵まれてる
遥かに恵まれている。
12時を過ぎたら眠たくなった、今日は自分に対して献花してやろう。