琴海土手 「徒然草」

この前の書き込みを飛ばしてしまったので改めて思い出し乍、書いている。
毎度の事で、日常思っている事を徒然に且つ衝動的に書いているので下書きを飛ばしたら再現する事は不可能で始末が悪い、花見方々、琴海の土手を散策、「まぼろしの琴の海市」を回想した。
平成16年12月、時津、長与、琴海の3町法定合併協議会まで立上ながら不調に終わった、推進派の私は慙愧に絶えず虚しかった。
思えば最初の町議選挙時、平成11年、国会で合併推進法が成立する一年も前から主張し続けてきた問題。
立候補時の私の持論は国家財政の再建を見据え「21世紀時代に適合した市町村のあるべき姿は行財政能力に長けた地方自治体の再編統合しかない」取分け、地方議会の質的向上であった。
琴海は広大な田園都市で今は長崎市編入された、時津、長与地域の発展は琴海を抜きにしては考えられず琴海町には時津、長与にないポテンシャルが有った。
自治体は何処も同じだが首長、議会の見識で地域の方向性決まる、住民がしっかり監視していないと情報秘匿、操作が生れ、可笑しな方向に誘導される。
議会の実態は国会も県議会も田舎の議会も同じで将に議会が疑会と化している。
昨年の4月は痛恨の極みで熱い支持者の人達には敗組と言う大きな負い目を作ってしまった。
短いようでも長い一年、晩年に味わう挫折感は人生体験の中では貴重だが、重たい負債に酷似している。