百年無人生・・・初秋。

 私の人生観は常時常在「人生無百年」生きる信条である。
義理の祖父「山口牧太郎」は今流に言えば「どけち」で私には幼少時代余り良い記憶は無いが「頑哲」な人物であったような気がする。
可愛がって貰った記憶は皆無で当時は傍に寄るのも抵抗を感じたものだが逝去し、義理の叔父(祖父の次男)と遺品を整理していたら素朴な板切れに自作の「刻字」で上段に「人生無百年」下段に「陽春 老鶏」とあった、遺品の整理と葬儀を終え「叔父」は形見代わりに「板切れ」1枚を持って南山手の長崎に帰った。
当時25歳の私はその板切れに刻まれた「文言」に強く心を打たれ「自箴言」とした。
この精神は今も変わらず、現在の方がより切実に受止めている、その後叔父も亡くなりその板切れを叔父の形見に貰おうと思っていたが探しきれず、今だ不明乍、心の中には寸法、形状、文字形、鮮明に記憶し保存されている。
 ・・・・ 改めて思う事は「五文字」は古今東西永遠の人生訓であり、祖父の別の人間性を垣間見る思いで私の心中では当時と異なる人格に変貌し今は親しみさえ覚える。
秋の夜、気紛れに文型を為してはいないが詩を作ってみた・・・・
 
  荘周夢為胡蝶 ・・・この一節のみ引用する荘周(荘子
  胡蝶不明夢 
  我不知其真実 
  我知少青山人生 
  難関多大 
  時流速去人来人 
  人生無百年                 笑止