諫早干拓30年の歴史・・・・

今日は諫早干拓の完工式、18年の歳月と2500億の事業費を投じて完成した。
国策プロジェクトでは有るが地元では余り評価されているとはいえない、考えて見れば
何十年か前、当時の労働省大臣「故初村滝一郎氏」が南総開発事業を防災と農地造成を抱合せ諫早干拓事業として事業化させたと説明を受けた事があった、「15日会」という若手経営者の「懇親と勉強会」を兼ねた料理屋の席であった・・
15日会は今でも現存し毎月15日に例会をもって脈々と続いている、私は途中、退会組みであるが当時の友人達とは今日でも交友関係を持ち親しくさせて頂いている・・・
特筆すべきは15日会から二人の代議士(山田正彦谷川弥一)が誕生した事、当時、現知事の金子原二郎氏は県議1期の頃で、会員はみんな若く野心的であった・・・
一面では故人になった者・事業に失敗し一家離散・蒸発した者、この干拓事業期間30年近くの間に様々な人間模様を垣間見て来た、又、万歳三唱の反対側には漁船に乗り込みタイラギ漁師のシュピレヒコールが有明海に響き渡る・・・諫早干拓の歴史は、自然破壊の歴史、生態系破壊の歴史と共に、地域紛争の歴史でもある。
個人的に振り返っても「捨ててきたモノ」「置き忘れて来たモノ」「借りっ放し」「貸しっ放し」コレマタ様々である、30年間にはすっきり超えてきた恩讐もあり、引きずり解消し得ない恩讐もある・・・・しかし乍、時間という長い道程を何とか無傷で旅してきたと自分なりに感心する。