勝てば官軍

4月22日
福岡県、黒木町に取引先があり半年振りに景況調査をかねて訪問する。
この黒木町は女優「黒木 瞳」を輩出した田舎町である、昔流に言えば、石坂洋次郎の小説「山と川のある町」を彷彿させる田園都市で日本の原風景的な風情があり「私の好きな町の一つ」、樹齢600年を数える国指定文化財の藤の大樹が町のはづれにあり、オリシモ「大藤花祭り」の真っ最中であった、町の歴史を知る事は仕事の上でも非常に重要であるとカネガネ認識しているので催事を見せて貰う、露店の老いたテキヤの口上はワビシイ。
広告業界も浮き沈みの激しい業界であるが、取引先の動きを見ていれば福岡を初めその周辺業界の動向も同時に把握できるのでアンテナ代わりにも定期的に訪問する事にしているが仕事のついでに地方の生活文化に触れる事が出来るのは至上の喜びであり楽しみの一つ。

黒木町の業者が関与した現場の確認作業もあり南関経由で帰る事にした。
南関には何故か「大蛇伝説」がありこの大蛇の造形を当社が造った経緯がある、設置した時はイマイチではあつたが一年過ぎれば周囲の景観に合致して存在感が自然に出てきた是も自然の摂理か。
高速を止めて玉名市経由で帰っていると道端で「田原坂」に遭遇する・・・
 雨はふるふる人馬(陣場)はぬれる 越すに越されぬ田原坂
西郷隆盛と薩摩私学校の青年達、志願兵が九州一円から集結し挙兵した「西南の役」。
一大攻防の激戦地が歴史に残る「田原坂」である、勝てば官軍の言葉はここから生まれたと言っても過言では無い、歴史は勝者に依って作られる、明治維新の最大の立役者も負ければ賊軍である、官軍戦死者・薩摩軍戦死者の墓があり興味があり確認する。
薩摩賊軍には個々の墓碑は無く一纏めの慰霊碑のみ、対する官軍は階級から年齢、戦死日、出身地まで詳細に刻まれた墓標が建立されていた。
田原坂で負けた西郷軍は後退し城山に最後の陣を張るが奮闘むなしく城山の露と散る、仲間の墓を作る余裕などあるはずが無いがここに歴史は勝者によって残され、作られる確かな事例を見ることが出来る。
人は敗者に憐れみを感じるが敗者には加担しない、何故なら勝者のみが「歴史も将来」も作れるからである。




4月22日
福岡県、黒木町に取引先があり半年振りに景況調査をかねて訪問する。
この黒木町は女優「黒木 瞳」を輩出した田舎町である、昔流に言えば、石坂洋次郎の小説「山と川のある町」を彷彿させる田園都市で日本の原風景的な風情があり「私の好きな町の一つ」、樹齢600年を数える国指定文化財の藤の大樹が町のはづれにあり、オリシモ「大藤花祭り」の真っ最中であった、町の歴史を知る事は仕事の上でも非常に重要であるとカネガネ認識しているので催事を見せて貰う、露店の老いたテキヤの口上はワビシイ。
広告業界も浮き沈みの激しい業界であるが、取引先の動きを見ていれば福岡を初めその周辺業界の動向も同時に把握できるのでアンテナ代わりにも定期的に訪問する事にしているが仕事のついでに地方の生活文化に触れる事が出来るのは至上の喜びであり楽しみの一つ。

黒木町の業者が関与した現場の確認作業もあり南関経由で帰る事にした。
南関には何故か「大蛇伝説」がありこの大蛇の造形を当社が造った経緯がある、設置した時はイマイチではあつたが一年過ぎれば周囲の景観に合致して存在感が自然に出てきた是も自然の摂理か。
高速を止めて玉名市経由で帰っていると道端で「田原坂」に遭遇する・・・
 雨はふるふる人馬(陣場)はぬれる 越すに越されぬ田原坂
西郷隆盛と薩摩私学校の青年達、志願兵が九州一円から集結し挙兵した「西南の役」。
一大攻防の激戦地が歴史に残る「田原坂」である、勝てば官軍の言葉はここから生まれたと言っても過言では無い、歴史は勝者に依って作られる、明治維新の最大の立役者も負ければ賊軍である、官軍戦死者・薩摩軍戦死者の墓があり興味があり確認する。
薩摩賊軍には個々の墓碑は無く一纏めの慰霊碑のみ、対する官軍は階級から年齢、戦死日、出身地まで詳細に刻まれた墓標が建立されていた。
田原坂で負けた西郷軍は後退し城山に最後の陣を張るが奮闘むなしく城山の露と散る、仲間の墓を作る余裕などあるはずが無いがここに歴史は勝者によって残され、作られる確かな事例を見ることが出来る。
人は敗者に憐れみを感じるが敗者には加担しない、何故なら勝者のみが「歴史も将来」も作れるからである。