時津港

1597年2月5日 京都で捕縛された宣教師とキリシタン信者がこの港に上陸し、その日の内に西坂の刑場で処刑された、あれから420年の歳月が流れ,今は上陸記念碑とウォーターフロント公園に殉教をシンボライズした時計塔が立ち、子供たちに憩いの場を提供している。
今年は又、港外1,2kmの無人島「鷹島」の殉教400年節目の年でもある、2018年は長崎、天草の潜伏キリシタンと関連遺産がユネスコ世界遺産に登録されるか、否か 判定の年。
世界遺産に指定されれば時津町も関係する部分もあり騒がしくなりそうだ。
2月はラオス国に訪問の予定であったが諸般の事情で4月に延期、国内での調査精査が先行しないと前進しない。
今月は私の身辺も公私に渡り超過密用件が山積している、早く片付けて自由度を確保し方向性を整えたい、本命のシニアクラブ後継人事も目鼻がついてきたので気分的には楽になってきた。
私事では数か月前から知人、友人とが大学病院に担ぎ込まれ懸念される状態が続いている、寄る年波には勝てず生存競争から脱落して行く様相、元気な時は逆に短く、長い闘病生活に入れば身体は楽だが精神は苦痛である。
生きている間は自立していないと自分が苦しむ、人に手を借りて酒を飲んだり風呂に入れてもらっても気持ちの負担になるだけではなかろうか。
弟のオサム君が死んでから早2年、先日、彼の友人から電話があった、心に優しい分だけ切ない処で生きていたのではないかと最近考えるようになった、不憫なところも多々あった、今にして思えば兄弟として悔やまれる部分も大いにある。
夢見がここの処悪かったけど仏教的に成仏できたのかなと妙な気持になる、今度の巡礼で線香をあげてやろう。