「松浦静山」の哲学


私の好きな野球評論家の一人に野村克也氏がいる。
ネットで紹介される彼のコメントには人生に通じる部分が有り味わいがある。
又、落合博満氏のクールなコメントも通じる部分があり、この二人が双璧。
同時に共通項は現役時代に名選手として一時代を築き上げた名選手であった、又監督としても他の追随を許さない実績を残した。現役時代は余り好きな選手ではなかったが球場を去りメディアを通じて報道される彼らのコメントに触れ共感を持つ、一芸に秀でた人間は現場の中に体得した哲学を感じさせる。
野村克也氏が松浦静山の名言「勝ちに不思議の勝ちが有り、負けに不思議の負けはなし」を良く引用し勝敗の岐路を解説してみせる。
剣の達人でもあった平戸藩の殿様「松浦静山公」が身を持って習得した真剣勝負の世界、野球においても、ビジネスの世界、人生劇場、全てに相通じる普遍の哲学である。
先人の人生哲学は時代を超え、処を超えて現在に生きているが、悲しい哉、人は自分が生きて来た生活体験の中にした先人の哲学を実学として知る事が出来ない。
経験を通さずに理解する事が出来れば失敗も過ちも犯すことはないのだが・・・。
「負けに不思議の負けはなし、裏返せば負けさえしなければ勝て、敗者は負けるべきして負け勝敗は立ち合い以前に決している」事になる。
私も喜寿の年齢にになり、今更、挑戦ではないが、晩成を期し今、取り組んでいるプロジェクトが実現すれば実社会に出て60年の集大成として昇華できるのだが。
この事案も静山流の哲学に当てればどうなるだろうか、最善を尽し努力に努力を重ね2年間積み上げて来た成果がどう反映されるのか。
春先はそういう意味で面白くなりそうだ。
          写真「多良山系の中腹から見る「玄冬の曙」1月22日撮影」