何もしなくて良い事のアリガタサ・・・


4月の改選時期が来れば述べ20年間に渡り努めた議員職を辞し晴れて自由の身に成れる。
地縁も血縁もない他郷で土地の方にも支えられ務めさせて頂いた。

一抹の寂しさも覚えるが解放感100%の環境でフルタイム好きな事が出来る喜びは至福の領域
義務的な事から解き放たれる境遇は社会に出て60年間で初めて体験する世界でそこに身を置かねば、現実的な気分は分からず、ワクワク感は否めない。
時間的、身体的には今も自由度100%で好き勝手に過ごしてはいるが、新聞読むのも仕事の内が習慣となり精神的拘束から脱却は出来ていない。

ある著名人が幸福論で「朝起きてする仕事がある人ほど幸せな人はいない」と言われた、一つの真実であるが「義務的仕事をせばならない人」ほど不幸な人も居ないのではなかろうか。
「逆も又真なり」言える部分もあるが、現役時代 馬車馬のように働き、老いて尚、働かねばならない境遇を幸福といえるのだろうか。

私的には、大空を悠々と流れる雲、名もなき野山の雑草を優しく掠める微風のように、自然体で好きな事をして暮らすのが最後に相応しく思う。
老境に入り「何もしなくてよい自由にありつける」という事は人生のご褒美のようなもの、その自由の中に「趣味の仕事があり、奉仕活動が有り、100%無駄な行為」があっても良い、義務的でなければ自分の意志でどうにでもなる。
私の場合は「自由度100%」の中で新たにトライしたい事が沢山あり、そこにどんな場面が待っているのか期待感で一杯だ。
           写真▶崎野公園の天空を流れる雲・