昭和の快傑「二人」。


私の好きな昭和時代の人物を二人挙げると「宰相 田中角栄」と
「潜行三千里の辻 政信」である。
ご両人の功罪は賛否両論、端的に評価するのは至難の業であり
多分凡庸の学者に計れる物差しではなく、2人を評するにはそれ以上の存在でなければ評する資格が無い、並みの人物ではない所が2人の共通項。
私如きが評価できる範疇を超えてはいるが、両人の生涯を追想すれば幽かに見えて来るものがある。
時津町長、平瀬氏に今後の事を尋ねたら「亡父の約束」を果す為ビルマに散った父の戦友の遺骨収集に行きたい、と言う事であった、私の父も終戦間際のサイパンで戦死、私なりに供養献花を兼ねて社内旅行で現地を訪ねた経過もあり、少なからず彼に共感。
凄烈を極めた日本軍の「インパール作戦」戦略は歴史に残る愚策で1司令官による「自滅への強行」が悲劇を生んだと言える。
その時、その場、結果検証出来ないのが歴史の教訓とは言え、事実は否定できない。
快傑「辻 政信」はノモンハン事件インパール作戦と続く東南アジア戦地で胆力・智力を尽くして戦い、そして敗北した。
特にインパール作戦では戦わずして7万の死者を出し阿鼻叫喚の
地獄を作った。
翻ってその彼が戦後、国会に席を置き、飢餓と銃弾に倒れた同胞戦死者に謝罪求償の思いを以って「東南アジア新興国家の樹立」で果すべく、密かに過っての戦地に隠密外交に出たがラオスの何処かで消息をたった。
人生意気を感じる、「潜行三千里、辻政信」増刷本を勇退する現町長に贈呈する事にした。