「嘆きの壁」のトランプ氏


ユダヤ教の聖地エルサレム嘆きの壁がある、昨年2018年5月 米国のトランプ大統領イスラエル訪問時、この場所を訪れた。
今、米国はメキシコ国境に難民不法入国阻止の壁建設費問題で政府機関の一時閉鎖にまで発展し下院の民主党ホワイトハウスが対立、深刻な状況になっている。
私見ではあるが、北朝鮮問題、イラク・シリア問題、WTO、TPP、パリ協定離脱、国境壁の問題等々一連の動きは全て「トランプ疑惑」に対する目くらましに見えて仕方がない。
アメリカの良識派にはどう見えるのか、直ぐでも行って聞きたい気持ちである。
主要閣僚が更迭、辞任したのもトランプに愛想をつかしての事だろう、何か大きな事件が白日の下に曝される気配さえ感じる。
共和党の両院議員達も猫になってしまい、アメリカの良識は何処に行ったのか、と疑う。
有ろう事かアメリカはメキシコとの中米国境に「嘆きの壁」を作ろうとしており建設すれば歴史に禍根を残すことになる。
国際問題等は本来私の範疇ではないが、今や世界はインターネット同様、一衣帯水、株価も貨幣価値も連動しており無視できない。
トランプ流の大袈裟なパフォーマンスは真実をカモフラージュさせる挙動、大きく見せたり、小さく見せたり、畏怖心を与えたり、分かり難くするのは、大体においてペテン師かやくざ者の常套手段、若しかすればトランプは既に裸の王様も知れない。

平成の世「最後の新年」 曇天なり。

平成の世も、4月迄で終わり5月nに新天皇が即位、新元号の時代が始まる。
30年続いた平成も昭和の延長線上で特筆すべき有難い事はなかったような気がする。
有難くない事は数知れず発生、最たるものは「東日本の津波災害」「阪神淡路大震災」「バブルの崩壊」「リーマンシュック」「高度情報化難局社会」「少子高齢化」「国難ともいうべき財政事情の悪化」挙句の果ては「トランプ弊害」「安倍政権の従属外交」平成元号は穏やか世情を願い命名された筈だが日本国にとつては厳しい30年であった。
春から新しい元号時代に移行する訳であるが何がどう変わる訳ではなく期待できる材料はなく、むしろ外国人雇用に伴う受け入れ法案の法制化で今まで体験したことが無いような新たな問題が生じることが危惧される。
私の場合、生涯を人生81年で設計しており、肩を怒らせず元気で「自分を使い切る」為の毎日を創る事に専念、「無駄な事、無謀な事、後ろ向きの事はしない」「人の為にならない事はしない」と新年に岩屋山で誓いを立てた。
登山者全員、初日のご来光を期待したが重たい雲に遮られ拝観する事が出来なかった、自然体に照らせば、曇天…これまた良し。


写真は初日の出を待つ登山者「岩屋山頂上」

親に勝る存在はない。


人生半ばを過ぎ分別ある筈の人間が親殺し事件で検挙される。
動物の世界でも有り得ない事が教育を受け衣食住に不自由のない人間社会で多発する事の不思議さ、動物の視点では説明がつかない、もはや人間社会は動物以下の生き物になってしまったのか。
母性本能と父性の使命感で親は我が子を育み自立が出来る時期まで養育する、ここまでは動物も人間も同じ過程を辿る。
動物界は生存競争が厳しく愛する子供であれば敢えて「千尋の谷に突き落とす」過酷な試練を与え強靭な体力と精神力をつけ生きる力をつけさせる。
人間社会でも同様に「かわいい子供には旅をさせろ」苦労した部分だけ人間が出来る。
親の気配りと愛情は見えない処に見える部分の20倍30倍の配慮と情愛が処方されている。
親の子供に対する養育は無償の愛である、私も片親で育ち母親には大変な苦労をさせてしまったが、振り返つて見れば大した親孝行もせず寂しい思いをさせてしまった事が悔やまれる。
動物社会では親孝行の事例は見ない、親孝行は人間社会特有の慣習かも知れないが反対の親不孝も人間社会のみの事象。
「親なくして子が存在する訳はなく」当たり前の事であるが現実にはその自覚がなく、独りで生まれ独りで大きくなったような感覚の人間が社会の大半を占めており、難しくしている。
動物社会では獰猛な狼でさえ親子で過ごすひと時の表情は穏やかで慈愛に満ちている、人は動物から学ぶ余地が沢山ある。

「あさきゆめみし・・・」

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新聞の読者欄に「あさきゆめみし・・・」見知らぬ人が投稿していた、古典的な題名が気に入り読ませて頂いた。
若い時、夢に見た「甘美で華やかな人生」は次元の異なる別世界で、紫式部の時代から現在も変わらず1mも進化していない。その方は人生の夕暮れにふと立ち止まり残り少なくなった灯を照らして独白されていた。
若い時は夢と希望の中で生き老いる事など毛頭も考えない、歳月は人を待たず、年月は瞬く内に過ぎ老いて挫折と失望の中で人生を諦観せざるを得ない時が来る。
一握りの人が宝くじに当たり我が世の春を謳歌するが永遠の幸福を約束された訳でなく、等しく世を去るのも又、同じ人間の宿命である。
飛鳥、天平時代の仏像は「いろは歌」を口元に秘め、慈悲深いまなざしで怪しく微笑む、半眼半開きの顔面に現世の無常、人の世の無情を諭しているようである。
私も男性の平均寿命からすれば余命「四年」である。
喜寿「77歳」を、毎日、毎日懸命に生きて来たが、振り返ってみれば「あさきゆめみし」の連続であった、いろんな事に挑戦、思いのままに乗り越えてきたが、自分の領域を超えておらず果たして何を成したのか、と胸に手を当てれば確たる回答で応える事ができない。

「大臣の品格」を問う記者会見。


「次の質問どうぞ」先日、河野太郎外務大臣が日ロ問題の質問をした記者に対して、3回続けて無視、外務省絡みの見解を外務大臣として回答せず内外のメディアから批判された。
テレビで見ていた私もこれが我が国の外務大臣の言動かと情けないのとバカバカしくて腹が立ったのは私だけだろうか、折しも日韓のトゲである竹島周辺で韓国軍が軍事演習を初め政府は韓国政府に厳重抗議したと報道された、河野太郎氏は河野一郎河野洋平に次ぐ三代目のセレブ大臣である。
親の3バンを継承して大した苦労もせず「政界の七光り」大尽(大臣)が政治を劣化させている、北朝鮮からも軽く見られるのは「政権の顔ぶれ」に迫力が欠けるからだろう。
風に吹かれて野山に佇む枯れすすきの風景に酷似している、人間の品格は生きて来た歴史で決まる、社会体験を通して何を学び、何を得、現状にどう反映出来ているか、又、未来志向でいえば、これからどう結実させ、後世にその種子を残せるのか。
人間の業績はこの定義に尽きる、日本の政治家が貧弱で政治が脆弱なのは政治家が世襲で家業的に継承されてきた歴史による、この構造を改築しないと国家の存亡に帰結する。
記者クラブの失態をブログで謝罪したようだが、この失態、精神構造は中学生レベル。
 麻生副総理は外務大臣を解任し外務大尽に任命した方が当りかも知れない。

「虚空蔵菩薩」今は昔。


私達が主宰する「里山くらぶ」の数名で東彼杵郡川棚町の虚空蔵山に登った。
標高608m、特筆するほどの山ではないが「九州100名山」の指定され東洋のマッターホルンと称され、頂上からの景観が下から見ても上から見ても見事であった。
私が興味は「虚空蔵山」の由縁である、虚空蔵山は長崎県だけでも7,8座有り信仰の対象になっている、山頂には「虚空蔵菩薩」を祀る祠が有り、知恵と悟りを求めて修行僧が行に励んだ歴史があるようだ。
山は天上に近く特別神聖な場所として崇拝の対象になり、寺院は全て山中に建立された、近世になって町中に移動し世俗的になってしまった。
虚空蔵菩薩は知恵と悟りを無限に包蔵した仏様の弟子、この弟子にあやかるために見習い僧侶が虚空蔵山に登ったのであろう、全国各地にあるのはそんな事情のようだ。
それにしても「虚無。虚空」何やら神秘的で怪しい響きがある、虚無的な世界で生きればどんな境地になるだろうか、よほど強い人間でないとその境地では生きれない。
無人間の代表格は今は昔、素浪人「虚無僧」だろうが。深編笠で顔を隠し尺八を吹きながら布施を貰い諸国を歩き、孤独な人生で化石の人になった。
虚空蔵山は今、修行の山からレクレーション登山の対象として親しまれている。
山頂に祀られた「虚空蔵菩薩」石像は色あせ所どころ欠落し憐れを感じるが、山の霊気は些かも風化していない。

巧言令色鮮し仁(巧言令色少なし仁)


論語に「巧言令色鮮し仁」がある。
現在語に訳すせば「鮮し仁=仁が少ない」のようだがこの場合の少ないは殆ど無い、分かり易く言えば人としての道義(倫理感)に欠け、信用できない人、という事になる。
「実」が無いから虚言、へつらい、愛想でゴマ化し自分を偽装して相手に取り入り詐欺まがいの行為をする輩、私の生きて来た社会人生60年の中にも十指を下らない人間達が居た。
現在は実像が見えたので付き合いもないし、これから先は細々暮らすので特別な材料もなく偽装系も寄り付かないだろう。
「うまい話を持つてくる奴は泥棒と思え」銀行まで作った資産家が子孫に残した家訓、厳しい家訓であるが真実性を帯びて分かり易い。
思い起こせば最初、この文言を聞かされたのは「母」からであった、実社会の分からない者には理解しがたい事であるが、真実である。
定理や定義、法則などを学び自分の血肉にできれば間違いなく貴重なフィルターになる。
2500年前の孔子の時代に語られた「孔子の思想、論語」が現在の日本国に重宝され、日本人の背骨になって脈々と生かされている。
これは精神世界の世界遺産に採択されてよい財産であるが、人間の擬態は生物より遥かに勝り、変心していくので恐ろしく悍ましい・・・。
(写真は密林に棲む蝶の擬態、切実である)